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世界遺産の東寺 小子房(しょうしぼう)
Toji Shoshibo House 東寺の小子房(しょうしぼう)。非公開。 鎌倉時代、後宇多天皇が真言密教の修行道場として建てた庵。 建武年間(1334~1338年)には北朝の光厳上皇がここで政務を執り行った。 現在の建物は昭和8年の再建。 水墨画の襖絵は堂本印象による
Updated Date : 2019-11-02 09:22:50
Author ✎ Kyoto Culture
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東寺五重塔
高さ54.8メートル 現存する日本の古塔中最高の塔 天長3年(826年)空海により創建着手。 現在の塔は5代目で、寛永21年(1644年)徳川家光の寄進によって建立。
●文化財(建造物) 宝蔵(重文)1198年鎌倉時代(文覚上人) 五重小塔(重文)1240年鎌倉時代(東寺の宝物館に展示 161cm) 御影堂(大師堂)(国宝)1379年 講堂(重文)1491年 金堂(国宝)1603年(豊臣秀頼) 観智院・客殿(国宝)1606年 灌頂院(かんじょういん)(重文)1634年 五重塔(国宝)1644年(徳川家光) 蓮華門(国宝)1191年鎌倉時代(文覚上人) 慶賀門(重文)鎌倉時代前期 東大門(重文)1198年(文覚上人) 北大門(重文)鎌倉時代前期 北総門(重文)鎌倉時代前期 灌頂院の北門・東門(重文) 東寺の周囲の築地塀(重文)1598年(豊臣秀頼)総延長約 900m  http://www.kyoto-arc.or.jp/news/leaflet/305.pdf
東寺 - 小子房
小子房(しょうしぼう)は、天皇をお迎えする特別なところです。南北朝時代。 足利尊氏が光厳上皇(こうごんじょうこう)を奉じて都に入った折り、上皇は、洛中の戦いが治まるまでの間、小子房を御所としました。
小子坊について
かつて西院大師堂の一面にあり、建武3年 (1336年)6月14日より半年間、北朝の光厳上皇は、ここで政務をみることとなり、尊氏は千手堂(食堂)に居住したといわれる。 現存の建物は昭和9年(1934年)弘法大師一千百年御遠忌の記念事業として新築、用材はすべて木曽檜を用い、襖絵は堂本印象画伯の筆になり、昭和の代表的な建報物ということができる
勅使門と築地塀
4本の筋塀。 ※筋塀:皇室に由来する格式を表し、その格式の高さにより三本、四本、五本の種があり、五本を最高とする。
庭の奥に国宝 蓮華門(写真左手)
国宝 蓮花門(れんげもん)。 弘法大師空海は晩年、この門から高野山に向かいました。隠棲のため東寺を後にする、その日、多くの人々が別れを惜しむなか、空海自らが念持仏として西院に祀っていた不動明王が、この門に現れ空海を見送ったといわれています。その不動明王の足下や歩んできた跡に蓮花が咲いたといわれ、それに因んで、この門を蓮花門と呼ぶようになったのだそうです。

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東寺小子坊への入口
・JR :「JR京都駅」(八条口)下車 1.1km 徒歩15分 ・近鉄 :「近鉄東寺駅」下車 0.6km 徒歩10分 ・市バス:「四条大宮」から      18系統(大宮通 久我石原町ゆき)      71系統(東寺 京都駅八条口アバンティ前ゆき)      207系統(九条大宮・九条車庫ゆき)      で 5停留所目「東寺東門前」下車
34.98107304837881
135.74702046767925
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34.98107304837881,135.74702046767925,0,0,0
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