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「桜井の別れ」の舞台 ~楠公父子~ 『史跡桜井駅跡史跡公園』
 "♪青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ・・”  唱歌(大楠公)。足利尊氏を迎え撃つため兵庫へ向かった楠木正成が、この地(大阪府島本町桜井)で子の正行と別れたことで知られる。「太平記」の内容をめぐっては 歴史的な評価での批判もあるが、南北朝の内乱期を描いた軍記物語として日本最長の歴史文学である。
Updated Date : 2024-06-19 20:59:25
Author ✎ 京都再発見
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実に3回にもわたって「桜井驛の別れの碑」が次々に建碑されているのに驚く。 楠木正成は知略溢れた武将として名高く、第二次大戦以前の軍国教育では天皇に忠義を尽くす英雄として称えられた。
楠公父子子別れの石像(なんこうふしこわかれのせきぞう)③
台座の「滅私奉公」の題字は近衛文麿公の書・・1940(昭和15)年
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楠公父子訣別之所碑(なんこうふしけつべつのところひ)②
題字は陸軍大将・乃木希典・・・1912(大正2)年。
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楠公訣児之處碑(なんこうけつじのところひ)①
表題の揮毫は大阪府権知事・渡辺昇・・・ 1876(明治9)年
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上記の石碑の裏面
駐日イギリス公使ハリー・S・パークスの「外国人として称賛します」という英文。
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史蹟桜井駅阯(楠木正成伝説地)
桜井駅は、旅に必要な馬などを備えた駅家(えきか)の一つで、主な街道に設置されていた(国指定の史跡)。
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史跡桜井駅跡史跡公園
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