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円山応挙スタディー  『代表的なエピソードと作品展示の寺院など』
応挙は丹波の穴太(あのう)村(現・亀岡市)の農家の生まれ。はじめは狩野派の石田幽汀に学んたが、その後、独自の画風としての写生画を完成した。三井寺円満院門主の知遇を得るなど画家としての名声を高め、円山派の祖として京都画壇の礎を築いた。太秦の「悟真寺」は兵庫県の大乗寺とともに[応挙寺]と呼ばれている。
Updated Date : 2024-06-29 10:48:53
Author ✎ 京都再発見
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*応挙がいかに画筆に忠実であったかのエピソード 彼が描いた野草を食べる馬の絵を見た農夫が「まるで生きているようだが、ただ一つ本当の馬とちがっている。馬は草を食う時、草の尖(さき)で目を傷つけぬように、かならず目を閉じているものだが、この馬は目を開いている」。 応挙は感心し、農夫に謝し、さっそく描きなおして、馬の目を閉じさせた(司馬遼太郎短編全集九~天明の絵師)。 *応挙は四条通り堺町東入南側に住み(邸宅跡の石碑あり)大雲院を製作の拠点にしていた。応挙と一門の筆になる障壁画は大乗寺(兵庫県香美町) に165面あり、全て重要文化財に指定。 *亀岡の「金剛寺」は応挙が子供の頃に世話になり、「大乗寺」は修行中の貧しい頃、住職に学資の援助を受けたことのご恩返しとして障壁画を描いている。
芭蕉の間「郭子儀図」(大乗寺)
郭子儀(かくしぎ)は中国唐代の名将、長寿を保ち息子や娘婿が皆出世したので子孫繁栄の理想像とされた。わらべが遊びにふけるさまを描いた応挙55歳の作品。レプリカに替わる前(2008年)に訪れ、すべて原画の鑑賞ができた。
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円山応挙の像(大乗寺)
大乗寺は円山派・四条派の美術館としての様相を呈することから「応挙寺」「円山応挙美術館」と称され多くの人々に親しまれている。
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「円山応挙誕生地」の石碑(悟真寺の境内)
亀岡市の「穴太寺」の東側の空き地にあったこの石碑が、お墓のある「悟真寺」に移設されていたのに驚く(2024年6月23日撮影)。
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応挙の墓(悟真寺)
「応挙寺」とも呼ばれる「悟真寺」は右京区太秦の広隆寺と大酒神社の間にある(2024年6月23日撮影)。
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円山応挙の双馬図
書き直した後の絵と思える(エピソードをご参照)。
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応挙館の墨絵(東京国立博物館)
応挙が室内の障壁画を描いたことから東博では「応挙館」と呼ばれ、茶会などに使用されている。(2018年に見学)。
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応挙・芦雪館(串本町)
和歌山県串本町の狭い通りの一角にある無量寺。その境内に併設されている自称・日本一小さな美術館。 円山応挙、長沢芦雪(応挙の高弟)、伊藤若冲等の作品を中心に、近世絵画96点を展示している。(2021年の旅行の際に駆け足での拝観だった)。
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悟真寺(京都)
35.014987700093734
135.7081479812041
0
0
0
19
35.014987700093734,135.7081479812041,0,0,0

応挙芦雪館(串本町)
33.470449849999994
135.77827356786315
0
0
0
17
33.470449849999994,135.77827356786315,0,0,0

応挙館(東京国立博物館内)
35.720159576410204
139.77659264579418
0
0
0
17
35.720159576410204,139.77659264579418,0,0,0

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大乗寺(兵庫県美方郡香美町)
35.62376655
134.625549278327
0
0
0
16
35.62376655,134.625549278327,0,0,0
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